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モバゲーとゲームの話題
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無料ゲームとソーシャルネットワークサービス(SNS)を組み合わせ、一躍人気となったモバイルサービス「モバゲータウン」。このシステムはどうやって生まれたのか。9月5日に東京都内で開催された開発者向けのイベント「ITPro Challenge! 2008」において、ディー・エヌ・エー(DeNA)取締役の川崎修平氏が、自身の経歴を振り返りながら、開発時のエピソードを明かした。

 川崎氏は1975年生まれ。小学生の頃からPC関連のイベントに通っていたという「パソコンオタク」だ。当時の夢はゲームの開発者になること。その夢は、モバゲータウンでのゲームアプリ開発で叶っている。

 DeNAに入社したきっかけは、大学生のころに運営していたオークションサイトに関するまとめサイトだ。1日100万ページビューを稼ぐ人気サイトで、「自分のサイトをユーザーが何度も使ってくれるのが嬉しい。ユーザーを喜ばせようと新機能を提供し、思いついたものをどんどん入れていくのが気持ちよかった」という。

 当時、サーバは自宅に置き、4台ほどで運営していた。「家のアンペア数が足りなくて、サーバを増やせなかった。貧乏仕様でやりくりすることを覚えた」

 そのまとめサイトが、DeNAの社員の目にとまり、同社に入社することに。その後、携帯電話向けのオークションサイト「モバオク」やモバイルアフィリエイトサービス「ポケットアフィリエイト」、そしてモバゲータウンという、DeNAの中核サービスを主に1人で開発していく。

障害に寛大だったモバイルユーザー

たとえばモバオクの場合、2カ月程度で開発した。「(現DeNA取締役の)守安さんが、『ケータイオークションをやりたいんだけど1人で(開発)できる?』と聞かれた。ゼロから好きに作っていいと言われたので、理想のオークションサイトが作れると思った」

 当時はパケット定額制サービスが始まったばかり。「使っていたユーザーがヤフーオークションに『卒業』されないように、新しい世代のサービスを安上がりで作ろうと考えた」。あえて携帯電話にサービスを限定してPCユーザーが入ってこないようにし、さらにユーザー間で細かいやりとりをするようなインターフェースを導入することで、独自の文化を作り上げていった。

 当初はアクセス数が伸び悩んだというが、ユーザーがほかの人を紹介するとインセンティブがもらえるようにすることで口コミを起こし、サービス開始から2カ月ほどでアクセス数を伸ばすことに成功した。

 ただ、システムの設計に関しては手探りだったようだ。携帯電話の場合、PCと異なり1回のパケット送信数は少ないものの、セッション数は多い。携帯電話特有のトラフィックに苦労しながらも、コンテンツ・デリバリー・ネットワーク(CDN)を導入することで対応した。

 「週末にトラフィックの山が来るので、毎週『このままいくと週末越えられないな』と言いながら、平日にシステムを修正するというのをずっとやっていた」

 ただし、携帯電話のユーザーは「障害や不具合に寛大だった」ことで、救われたとも語る。「携帯電話のユーザーはコミュニケーションの仕方が全然違う。企業が運営しているサイトでも個人サイトに近い感覚で接してくるので、管理人がいると思って問い合わせをしてくる人もいる。レスポンスも早かったので、不具合があれば1分以内にすぐ直すというようなことをして、テストを省いたりもしていました(笑)」

 開発作業は基本的に1人。自宅で深夜作業をしていることが多かったという。「現物が仕様でドキュメントもない。その代わりに、ソースを見れば仕様が分かるようにしていた」。ときどき出社し、企画やデザインを担当する人たちと飲み屋で話しながら細部の詰めをしていった。

 1人で開発をしていたため、負荷対策は簡単にできる仕組みを取り入れた。具体的には、1週間分程度の余裕を持たせたリミッターを仕掛けておき、限界が来るのを早めに察知して対応できるようにしていた。

自分の作りたいものとユーザーが使いたいものを一致させる
 モバゲータウンも、開発期間は3カ月だった。オークションサービスはそれまで描いていた理想のサービスを作れば良かったが、コミュニティやSNSの場合は川崎氏自身、あまり使っていなかった。しかし、「人と絡むのが得意じゃないから、そういう自分でも使えるものを作ろう」と発想を切り替えた。それが結果として、アバターを核に、見知らぬ人とのコミュニケーションが楽しめるサービスへとつながった。

 サービスを開発する上で川崎氏が気をつけていることがいくつかある。まず、自分で作りたいものを作るということ。ただし、自分が作りたいものと、ユーザーが使いたいものが一致するような訓練は必要とも話す。「こう使われるだろうという仮説があって、それが思った通り使われたかどうかを確認するというフィードバックを繰り返すことで、ユーザーとの感覚が合ってくる。そうなれば、自分が面白いと思うものを作って受け入れられるという、幸せな構造ができる」

 また、開発する上でのモチベーションを維持するために、「こんなサービスが突然出てきたら、わくわくして人に伝えるよね」というものを作ること、「これができたら自分はすごい」という多少無理に見える課題設定をすることがポイントだとした。

 個人で開発することが多い関係上、「有能な編集者みたいな人がいるのがありがたい」とも語る。「あらぬ方向に行っちゃったときに、適切なインプットをしてくれる人がいるといい。自分は集客力があるサービスを作るのに専念し、ビジネスチャンスの発見や、トラフィックの活用方法、サポートや営業などを専門家に任せられる状態が幸せだ」とした。

 モバゲータウンの文化作りについては「理想的なコミュニケーションができるモバオクのユーザーを選んでサイトを利用してもらい、そこを核に基本文化を作った。優しい文化になっていたので、後からサイトに参加した人もそれに合わせた」という。ただ、急激に人気が出た理由については、「よくわからない」と苦笑していた。
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元従業員からの訴訟、社長の退陣と客観的にみて窮地に陥ったテクモ。このまま潰れてしまうのだろうかと思っていたら、8月29日にスクウェア・エニックスが友好的公開買付けを発表した。

 私はおそらくテクモがこれを飲んで子会社になるのかと思っていたのだが、9月4日にテクモはコーエーとの経営統合を発表した。なぜコーエーと……『乳バレー with パワーアップキット』でも発売するつもりかと友人と面白おかしく語らいあった。

 その後、この事実を知ったスクウェア・エニックスはテクモに対して、自社の案を拒否してまでコーエーとの統合を選んだ理由を問い質した。それに対する回答がテクモから9月8日になされた。理由はとても簡単なものだった。

 「回答期限が短い上に完全子会社化されるから」

 そう、言われて見ればたしかにスクウェア・エニックスの提案はテクモに対してあまりメリットがなかった。あの提案はテクモが生き残るためだけの提案であり、テクモを助けるために提案ではなかった。

 対してコーエーとの経営統合は、今までの発表を見る限りでは対等の関係だ。子会社化などではなく、手を取り合って一緒にやっていきましょうというもの。会社としてどちらを選べば良いかは明白だろう。

 スクウェア・エニックスは功を急ぐあまりテクモという大きな魚を逃してしまった。今後テクモが生き残っていけるかは今のところ分からないが、コーエーとの統合により新たな道を切り開いて貰いたい。

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